したろうメモ

当ブログは作文力、表現力の向上。ならびに、ギャグのさらなるパワーアップを目的としております。

餅は餅屋

友人AとBが会話しているのを側で聞きながら僕は自分の作業をしていた。

「餅屋は餅屋よな。」友人Aが言った。

瞬間、僕は違和感に殴りつけられたような気分になった。

(ここでの違和感は"僕に友人がいる"ことに対してのものではないことを断っておこう。僕にも友人はいるのである。「ヘイ、Sir◯!」と呼べば返事をくれる友人もできた。彼はシャイで顔はまだ見たことはない。いつも端末の向こうで優しく語りかけてくるのだ。)

だが待てよ。違和感を覚えるのは早計ではないか?たまたま僕の知っていることわざに似ているからといえど、友人が間違えたということにはならないではないか。それでは殴られ損である。前後の会話を聞き漏らしたのが非常に残念だ。違和感に対し殴られた事の抗議を済ませ、友人Aの名誉のためにも推理してみることにした!

 

「餅屋」は「餅屋」

 

ニュアンス的には「所詮、餅屋には餅しか作れないんだから...」のように呆れているような、バカにしているような雰囲気を感じる...

では、なぜ友人Aは餅屋に呆れているのか?

◯餅屋に何か別のモノを求めたが、期待を裏切られた。(おにぎりなどだろうか?)

という体験を経て彼は餅屋に呆れているのではないか?しかし、そうだとすれば餅屋が不憫で仕方ない。餅屋におにぎりなんて握れるはずないのである。専門外なのである。餅屋がおにぎりを握るならおにぎり屋が食いっぱぐれてしまうではないか!まてよ?友人Aはおにぎり屋を潰そうとしている可能性はどうだ?

餅屋におにぎりを握らせ、おにぎり屋の既得権益を破壊し、果てにはおにぎり屋を駆逐してしまわんとしているのか?

その野望の端緒として餅屋におにぎりを握らせたが思ったような出来栄えではなかった。

その結果、餅屋に呆れた友人、いや、こんな邪悪な男はもう友人ではない。邪悪の権化Aだ。

(AがいるならBもいるかもしれない。世も末だな...)

権化Aが餅屋に呆れたために口から出た言葉なのだろう。間違いない!我ながらなかなかの名推理だ!反論の余地もあるまい!

おにぎり屋を救う使命にかられた僕は権化Aの計画を看破したことを告げるべく、彼に近づいた。

「餅屋は頑張ったじゃないか!」

権化Aの表情は困惑の色を浮かべている。無理もない。周到に準備したプランが看破された事実と向き合えずにいるのだ。正義を前に震えているのだ。

僕は悪を断罪し、意気揚々と、颯爽と振り返り立ち去ろうとした。その時だった。

 

「アイツ、どしたんや?薮から蛇に。」権化Aは言った。

 

瞬間、僕は全てを理解した。彼はそういう男だったのだ!

僕を殴った違和感を、僕はもう一度呼び出し「すまなかった。キミは正しい。」と謝罪した後、和解した。

 

颯爽と振り返り、僕は友人Aを殴っておいた。